ALMA MELLIZA

アルマ メリッサとは、マルシアル ロドリゲスがキーボードプレイヤーのJUNKOとデュオで演奏する時のタイトルです。

 

マルシアルとJUNKOは、1976年にショービジネスの世界でギタリストとダンサーとして出会い、人生の紆余曲折を経て47年ぶりに再会し、「これからの人生は聴く人が幸せになる音楽の演奏をするためのDuoを組もう」と2021年に結成されました。

 

活動

パーカッションのパパイヤとコーラスのマンゴとユニットを組んでの演奏活動もしています。

現在はLIVEは湘南の大磯を中心とし、ほぼ連日、「早朝オンラインLIVE」での活動をしています。

 

ラテン音楽奏者として57年のキャリアを持つ、マルシアルは『アルマ メリッサ』が奏でる曲を次々に作曲しています。

その中の数曲は、JUNKOと共同で作曲したもの。

パラグアイの名アレンジャーたちが編曲を行い、ラテンポップスの粋を極めています。

アルマ・メリッサはパラグアイの女性歌手ラウラとのユニットを組むこともあり、オーセンティックなラテン音楽として

レコーディングもしています。

 

作曲

ラテン音楽の中でも特殊で軽快な「ポルカ」のリズムや「チャチャチャ」等、ダンサブルな曲だけでなく

マルシアルの得意とするラテン・ロマンティコ

また、新たな境地として「ラテン・ヒーリング・ミュージック」の作曲と演奏に力を入れています。

 

JUNKO(Artist)

 

アルマメリッサのキーボード

日本語の作詞を担当

寿樹一瑠(ことぶきひるり)

の著者名で南米に棲息する鳥「コリブリ」を題材にしたスピリチュアル・ストーリーを上梓。

マルシアル作曲、演奏の3曲に、この書籍についている

QRコードからアクセスできる。

3歳の頃からピアノを習い、15歳までクラシックピアノを様々な師から学んだあとジャズダンスに転向。

その後、桐朋学園芸術学部で演劇を学んだあと、ショービジネスの世界に飛び込み演技、ダンス、ピアノ演奏でエンターテイメントを生業とする。

その後、松竹の映画監督にスカウトされ、テレビ、映画、舞台で活躍。プロダンサーと障がい者アーチストとのコラボ作品をエジンバラフリンジフェスティバルで上演した後、イギリスに移住。25年のイギリスと日本を行き来する生活をしたのち、コロナ禍がきっかけとなり本帰国。

長年JUNKOを探していたマルシアルにFacebookで発見されたところからアルマメリッサが誕生した。

 

 

Amazon レヴュー

★★★★★

本を読んでいるのに、音楽が流れ、

非常に心地よい本でした。

コリブリの飛んでる姿など、落ちつく音楽で

想像しながら読む事ができます。

コンパクトな作りなので、手軽な感じで持ち歩くのもいいかも。

夢を追いかける大切さが伝わります。


ALMA MELLIZA

ONDAS DEL MAR DE OISO

 

大磯の波

 

作曲/ギター マルシアル ロドリゲス MARCIAL RODRIGUEZ

キーボード   JUNKO

アレンジ  シルヴィオ トゥロ SILVIO TURRO

 

『大磯の波』

明治時代から昭和にかけて8人もの首相が排出され、政界の奥座敷と呼ばれた大磯。

大隈、伊藤、陸奥、西園寺邸などを「明治記念大磯庭園」と命名することが閣議決定され、歴史の重鎮の一つとなった。

 

島崎藤村をはじめとする文豪が筆を走らせる大磯は、富士を見上げる文化の高い場所として今もなお、その精彩が陰ることはない。

そんな大磯にぴったりの曲が南米のラテンギタリスト・マルシアル・ロドリゲスによって作曲された。

それは、明治の日本、鹿鳴館で踊られていた輪舞を想像させるに足る大磯の海の波を楽曲にしたものだった。

 

『作曲エピソード』

南米の中央に位置するパラグアイには大きな川が流れているが、海がない。

2023年の夏、海を知らずに育ったマルシアルは、日本の病院で腰椎の手術を受けて入院していた。

真夜中の静まり返った病院の中、一人寝られずに悶々としていると、頭の中に美しい音楽の旋律が流れはじめた。

そこにあるはずのない、その美しい旋律をマルシアルは口笛で吹き、スマホからJUNKOに送った。それを受け取ったJUNKOは、かすかに聞こえるその旋律を、鍵盤で追いながら弾いて、書き留めた。

 

パラグアイの音楽は8分の6拍子のポルカが有名だが、ひとつの曲を3拍子と2拍子で同時にリズムをとることが自然にできるかと言えば、そうでもない。

6拍子に通じる3拍子のワルツなら、きっと誰でも乗りこなすことができるのではないかと、この旋律をワルツとして仕上げてレコーディングを行った。

 

レコーディングがすんだら、そのデータをパラグアイに送り、シルビオ トゥロの手に編曲をゆだねた。